口元は目程に物を言う?

マスク生活1年半。

マスクが当たり前になった頃は、

「マスクしての対面鑑定はもったいないな…」と思っていました。

 

というのも、私は生年月日時をメインに鑑定しますが、それ以外に、顔・声・身振りも全て鑑定材料になっているので、その中の一部を隠されてしまうと“そこを視ないで鑑定”する事になり、ちょっと感じられる内容が減ってしまう可能性があるからです。

 

その為、はじめのうちは一瞬マスクを取ってもらったりすることもありましたが、人って慣れるものですよね。

ある程度の頃から、口元は視なくて良い部分という認識になってしまいました。

 

ただ、口元は本当にその人の運勢に影響のある個所と思っています。

今、何の問題もなく口元が見られる環境が、テレビの中にしかありません。

芸能人や有名人、政治家など、そういった人だけが、口元を出しています。

そのせいか、最近やたらと口元の大切さを感じるようになってきました。

 

歯並びや良いとか、歯が白いとか、そういう審美の部分の印象ももちろん大事ですが、口元の大切さは、歯ではなく、口元です。

正確には唇の動かし方、口角の形、顎に入る力加減など、これらは歯並びのように先天的な影響の大きいモノではなく、後天的な表情、その人の筋肉の動かし方によって決まってくる部分です。

 

その為、その人の生き方から生まれる考え方そのものが、そこに現れているといっても過言ではありませんし、“目は口ほどに物を言う”と言いますが、口元は目よりも「表現」しているかも知れません。

 

そういった大事な部分が隠されているのが当たり前の1年半。

普通に生活していたら、この1年半に新しく出会った人で、お互いが正面からナマの顔をしっかり見る機会が度々あった人はかなり少ないと思います。

 

通常の生活に戻ろうとしているこれから、マスクを取る機会が増えてきて、食事会・飲み会等が当たり前になった時、もしかしたら、マスク生活間に知り合った人と、マスクがなくなった事で人間関係に違和感を覚える人も増えてくるかもしれません。

 

これは皆さんが認識できていない部分で判断している、自分なりの自己防衛的な他人を判断する目(観相)が、口元を隠されていた事で狂っていた証拠で、当たり前に起きておかしくない現象です。

 

本当の意味でコミュニケーションについて感じるのはこれからなのかも知れませんね。