お遍路してました…
年に1回、四国遍路1周88ヶ寺を回っています。
と言っても、バスやタクシーのお気楽お遍路。
去年は11月に行ったので、まだ半年も経ってないから、しょっちゅう行っているように思われますが、年に1回以上は行かない(ってか行けない)ので、次はしばらく先です。
そもそも、なぜお遍路に行くのか?
私は両親が地方出身の末っ子同士なのもあり、核家族の東京生まれ。
親戚は沢山いるようだけど、なかなか会えないし付き合いも薄く、お年寄りと過ごす環境もありませんでしたし、もちろん家に仏壇もありませんでした。
だからお経をあげる事も、先祖に手を合わせるといった教育を受けていません。
それに両親の実家とも、お墓がお寺にあるパターンではなかったので、本当にルールを知らない。
そんな宗教感覚ゼロの私がお遍路に興味を持ったのは、この仕事をしだしてから。
運よく職場には恵まれてきたので、順調に鑑定数も伸び、同時に自分の鑑定眼も成長してきたことを実感できるようになった頃、「人様が悩んで支払っているお金をそのまま私の至福の為に使っていてはいけないような気がする…」と、思いついたのがはじまりです。
その頃のお遍路のイメージって、犯罪者が身を清める為とか、修行とかしかなかったので、自分を律する為にお金を使ったら、何かに還元できるのではないか?って考えたんですね。
今思えばホントに何も知らない、浅はかな発想なんですけど。
ただ、実際はじめて四国に行き、「お遍路」という文化に触れて本当に感じたのが、『四国は魔物が棲んでいる』という事。
私は「オバケ」と分かるモノを見ません。ただその世界がある事を感覚的に正しく理解しているつもりなので、むやみやたらに踏み込む事は決してしません。
なので、通常の生活で変な目に合う事は無いのですが、四国遍路の間だけは、自ら特殊な空間に入っているので、本当に気を抜くと事件が起きます。
事件と言っても、誰かに何かされるような事件ではなく、自分の隙を突かれるというか、見透かされているというか、説教されるというか、不思議な感覚を覚える『事件』で、最終的に反省に繋がる事ばかり。
ある程度大人になると、注意される事ってなくなり、ただ周りに人がいなくなるだけですよね。
この仕事をしていると、どうしても人と距離が生まれてしまい、孤独を感じる事が増えてくるように思います。
私にとって、この四国遍路の時間は、何者かわからない誰かが、ちゃんと正しく説教してくれるような気がして、ぶっちゃけモヤモヤするんですが、その度 “あーこのモヤモヤがいけないんだな…”と素直に考える良い時間になっています。
にしても、春は景色が良いですね!東京じゃ見られない花が沢山!
牡丹なんて「牡丹と薔薇」(テレビドラマ)でしか見た事なかったですが、こんなに大きくて派手だと思いませんでした笑