マスク生活、そろそろヤバい
気付けば今年も桜を楽しむ機会もなく、あっという間に3月も終盤。
私としては、なんだか寂しく感じる今日この頃です。
というのも、職業柄、自分の運勢のコンディションに合わせて、数年単位で先に終わる予定を組みながら生活しているのですが、ちょうどそれらの予定が2021年に入ってどんどん終わっていくので、達成感があるはずなのに、ちょっとガッカリしているからです。
本来は目的を達成したという「成功の結果」を求めていたはずなのに、「達成という結果」しか残らないと、どこか不完全燃焼。
じゃあ何が必要だったのか?と考えると、やはり、目的を達成する為に必然的に生まれる「他者との関わり」は、目標達成に達成感を得る為の大きなスパイスなのでしょうね。
一番分かりやすいのは、キャンパスライフを楽しむために進学したのにオンライン授業になった状態。
本来、学ぶ事や卒業する事が目標で、仲間と遊ぶ事ではないけれど、それも込みで進学したからがっかり。
でも、外出してはいけない訳ではないし、感染対策していれば会えるから友達が作れないという訳ではない。
でも、その感染対策でマスクをした状態、限られたコミュニケーション、環境から無理矢理コミュニケーションをとらなくてはいけない状況も激減。
結果的に、無理矢理にでも出会う手段を取らないと新しい出会いは得られず、その方法の良し悪しを間違えれば、大人が仕込んだ環境にも引き堕とされてしまう。
また、マスクをした状態でのコミュニケーションは本当に難しいと思います。
特に若い子には難しい。
日本人は目でモノを言うという文化ですが、実際「相術」を使う私の感覚では口元ってとても重要。
知識はなくても、人には“危機管理としての人を見る目”が備わっているはずなので、口元が見えない状態が、どれだけ人を見る目を狂わせるかを考えると、今の状況はとても怖いと感じます。
例えば去年新しい環境に入った人が、丸1年マスクコミュニケーションを続けていた人と、この先もまだしばらくマスク生活でコミュニケーションを取り続ける事は、この先マスクを外せる生活、飲食を共にしやすくなった元に近い生活が始まった場合、“思っていた感じの人と何か違う”という人間関係の違和感を覚え、その相性によっては揉め事に原因となってもおかしくありません。
そして、画面を通したマスク無しと、生の顔もまた違います。
まだまだ長いこの生活、そろそろ戻る事は考えない方がコミュニケーション力の発展になるかも知れません。