三木大雲住職と会えました!

先日、三木住職とのラジオ収録があるから、と千原せいじさんにお誘いいただき、京都まで行ってきました。

私は怪談話を子守唄に寝るくらい、怪談が怖く感じないタイプ。
その中でも怪談和尚こと三木住職の怪談は、現実を感じる解釈がされていて、見えない世界をロジカルに分析したい私としては納得する事が多く、色々な怪談師さんの中でもダントツに本もYouTubeも見ていて、お経を掘り下げたいと思ったのも三木住職のYouTubeが切っ掛けでした。

もともと宗教の縛りがない核家族育ちなので、お経に触れる事はなく、般若心経をはじめて唱えてみたのもコロナの数年前。
そこから四国遍路に行くようになって年1回4周まわった位でやっと経本を見ないでも唱えられるかな?くらいになった程度の適当さでお参りをしていました。
四国をお参りしていると、年1周するだけと決めてる私がおかしいのか?と感じるくらい、お参りオタクみたいな人ばかりで、ちょっと肩身が狭い(笑)
その上、信仰してる訳ではない(気がする)ので、若干心の置き場所に困る事もあり、最近は四国のお参りはお祓い感覚、それより色んな宗教やお経の考え方を知るのが楽しい感じです。

という事で、今日は私のお参りやパワースポットに関する【プチ考察】について。

もともと私は、「自分が体感しないと信じない」というポリシーでこの危なげな“スピリチュアル界隈”を歩んでいるタイプです。
そして、地球外生命体も心霊現象も、理屈としてあり得るので信じています。
ただ、神・仏・妖精、みたいなものに関しては、実際に見た事は無いのでどこか眉唾です。
でも、仏に関しては何となく「ある」という感覚は持っています。
神に関しては(怒られそうですが…)高貴な心霊現象的な印象です。

そんな考えの私は、ぶっちゃけ、パワースポットと言われるところに行っても、あまり共鳴しません。
もちろん、雰囲気が良いとか、空気が変わったとか、そういった自然の感覚はありますが、そこで何か特別な経験をするかどうかは、期待する程の事にはなりません。
行ったか行かなかったか、まさに【気分の問題】なだけです。

そんな中でも複雑な気分にさせられる事が多いのが【寺】です。
それは私が漠然と「ある」と思っているからかも知れませんが、たまに「何か」が来ます。
今までもそういう感覚がある事はあったのですが、「自分がその空間に酔っているのでは?」とその感じを否定するように思考をズラすようしていましたが、今年に入って、「なるほど、この感覚はナルシスト的なモノではなかったんだ」と物理的感覚で思い知らされる機会が続きました。

言ってしまえば、仏様の前で涙を流している人を「熱心に信仰しているんだなぁ」とか「思い込みの激しい人だなぁ」とか、かなり冷めた目で見ていたのですが、「いや、これマジで何かあるぞ!」って実感させられた感じ。
それでも特に何かを信仰している訳ではないので、ただ数だけ寺回りしている時や、観光的に有名なお寺などで突然ソレを感じる事はありません。
だからこそ、そういう感じがしたところは、自分にとって何かが「ある」場所と信じてしまった方が効率的なのでは?と考えるに至りました。

話は長くなりましたが、これらの体感から、様々な神社仏閣を熱心にお参りしたところで、自分に本当に合う場所はそう多くなく、そういう場所に行くと、こちらに気付く能力がなくても、あちら様から「ここにある」事を気付かせようと結構強い何かを発動してくるので意外と気付けるモノではないか…と。
それと比べると、凄いパワースポットと言われる場所に行ったところで、なんか良い感じ~程度の「その気」になるだけ・・・

って事で、私がパワースポットに行ったところで大して共鳴できない理由はコレか!という結論に達した【プチ考察】のお話しでした。