宿命鑑定は人生の整形外科
私の鑑定は、年月日時を使う命術を基準に、実際そこにいる相談者が、その宿命とズレていないかを視て、私の中に生まれる「違和感の部分」を伝えるものです。
例えると、痛みの原因を探すためにレントゲンを撮る整形外科のような感じ。
思う通りに動かないとか、痛みの原因って、骨がズレてしまったり、軟骨がすり減ってしまったり、結局あるべきところにそれがなくなった、正しい形ではなくなったから起こる現象ですよね。
これは宿命も一緒で、本来こうあるべき人が、何らかの周りの影響で、そうでない運命を歩んでしまうと、その人の生き方がその人にとっての“正しい形”ではなくなってしまうので、その無理が痛みに繋がって、結果的に不必要な辛い思い(知らなくて良いこと)をしなくてはいけなくなるという事。
実際に体に不調がでたら、治療をしますよね。
場合によってはその原因を外科的手術で取り除かないと、その痛みと一生付き合わなければいけなくなります。
薬で散らし続けても辛いなら、やっぱり根本治療、手術するか…
傷の治りや、本当によくなるのか不安だけど、今よりは何かしらマシになるはず。
これ、本当に私のお伝えしている鑑定内容と同じといっても過言ではありません。
なぜその問題が起きているのか?
宿命を通して「ズレ」ている場所をみつけ、そこを何かしら簡単な方法で治療できるならまず試す。
もし、様々な理由で「簡単な方法」を取る事が難しければ、他の事に気持ちをそらせて「ズレ」ている事をしばらくごまかす。(痛み止め)
それでもやっぱり辛さが止まらないのであれば、根本的な切除や注入治療を目指す。
ただ、この最後の治療は、それをするかしないか決めるのは本人、それに伴う副作用もしっかり説明した上でお伝えするのですが、行動するのも本人なので、なかなか結論を出すのは難しいはずです。
その為、私の場合は重症者にはトコトン時間をかけてお話をします。
でないと、この治療方法は、ご自身の深層心理との闘いになるので、本当に葛藤がなくなった時まで本当に悩まないと行動した事を後悔してしまうからです。
そのせいか、ここまで突き詰められた方の最後の決断は比較的サッパリ、本当にあっけなく結論を出す事ができているように感じます。
自分で考えて自分で悩むのはとても難しいです。
自分の思考回路を越えた提案をされないと、人は自分の思考を冷静に判断できないのかもしれませんね。