徳は積めるうちに積んでおく主義!
「徳を積む」この言葉を検索すると、人に知られず善い事を行う、見返りを求めずに善行を積み重ねる、といった意味がでてきます。
でも、なかなか人に知られず善い事ができる場面ってないですよね。
お年寄りに席を譲ったら、そのお年寄りが見てますし、ゴミ拾いだって、誰も見ていない日時を狙ってやる方が難しい、ボランティアも具体的に「何か」を助けに行ってる訳だし…
となると「徳を積む」って何だ?と、屁理屈な私なりに考えた結果、「徳」とは、「自分が苦労してないのに誰かの為になってるかも?な事」になりました。
極論ですが、「世界平和を願う」ことも、今の日本にいたら基本的に苦労しなくても願えますし、たった1人の願いでも、沢山の人が願えば何かが変わるかも知れない、というのもアリと思います。
そして、それくらい軽い感覚で“徳を積む”を考えるようになると、結局、自分の心の邪念や欲がなければ、どんな行動も“徳”に繋がってしまうのではないか?と。
SDGsだって、「私やってます!すごいでしょ」アピールではなく、日々の当たり前の生活の中で、誰の迷惑にもならず、自らが全く大したことではない、単純に出来る事をしているだけで、“徳”を積んでいるようなモノ。
そう考えると、「“徳”は楽に積める時に積んでおくべき!」です。
で、これはちょっと「徳を積む」の本来の意味と違って、全く欲の塊的な発想なのですが、その欲望を差し引きしても、ちょっぴり“徳”かな?というモノに【献血】があります。
これ、献血する側へのメリットがとても大きいのに、大変ありがたがられる、メッチャ最高なイベント。ジュース飲み放題、お土産も凄い時あるし、数日後にはわざわざ血液検査の結果ハガキも届く。
変な話、病院で血液取られるよりも皆さんお上手、アザになった事も、嫌な気分になった事もありません。
こんな良い事ばかりでやらない方が損♪
と…若い時は、お菓子食べ放題とかに目がくらんで行ってました。
でも今はちょっと考え方が変わり、また、献血に行くようになりました。
それは、自分は特に努力せず、生きる為に当たり前に作られている血液が、誰かの為に使えるクオリティーを保ってくれている。そんな血液を作り続けている、自分の健康な体への感謝も込めて「献血できる幸せ」を実感しに行く為です。
もちろん、健康の為に運動したり、食事を少しは気にしたりしていますが、今まで大きな病気もなく生活できているのは幸せなこと、普通に献血をしたくても出来ない人もたくさんいる事を考えると、やれる人がやるべき、献血する方は苦労でないし、お土産もらえるし、真っすぐ帰るのが嫌な日の時間潰しにもなる(笑)
なので、五体満足でいられるうちに、無理面倒にならない事で
「楽に徳を積めるうちに、無駄に徳は積んでおこう」と思っています。