読書感想文のせいで国語が嫌いになりました
私は中学受験組でした。
特別頭が良かったわけでも、家柄が良かった訳でもなく、「不良が怖い」「セーラー服が着たい」ただそれだけ。
そして得意なのが算数しかなかったので、2科目で受験できる(時代)というのが助け船になり、中学受験をしました。
そんな私がいつも頭を抱えたのが、国語の「読解力」です。
有名な文章に波線や記号がついていて、「あぁ、何かしらここが問題となって出るのだろう…」とタカをくくりながら読み進め、案の定“そんな問題”が出されるアレ。
色々な問題のパターンがある中で、私が一番「嫌」だったのが
「この文章で何を伝えたかったのか?作者の気持ちを述べよ」的な問題。
その度に小学生の私は「作者じゃないから知らねーよ!」って突っ込みながら、過去の経験で減点をされたパターンを避けながらできるだけ模範解答に近づけようと媚びを売った回答を考えた末、見事に中途半端な減点をされ続けました。
回答を作った人も作者じゃないのに、よくもまぁ堂々と他人の気持ちを代弁出来たものです。
そんなんだから、国語に対する信用が「ことわざ」や「漢字」のような決まったモノにしか持てず、それこそ「読書感想文」があったから、本を読むのも嫌いになりました。
無事中学受験を終え、お気に入りの制服を着て通学するようになってからも「国語嫌い」は変わらず、成績はいつも5段階評価の2、得意だった算数は数学に変わって楽しくなくなり、社会や理科は小学校で勉強せず、英語は国語嫌いとリンクして、結局5が取れるのは体育と家庭科、平均以上は美術や音楽、という典型的な落ちこぼれ人生に転落し、14歳には立派なヤサグレ中学生に成長 笑。
で、その頃には「作者の気持ち」=「仕事で書いてるんだからお金です」位に開き直っていたので、もう国語に興味が無くなり、試験となると、漢字と〇×、記号選択だけ書いて他の問題をまともに読む事もなかった記憶があります。
そんな私が社会に出て「国語」に復讐する時がやってきました!
結局、漫才のネタを書き、新聞にコラムの連載を持ち、結局「文章を書く」事を仕事にする日々を過ごす事に!
そんな私が文章を書きながら思った事。
「金になるから文章を書く!」
ただこの考え方のおかげで、ギャラをもらわないと文章が書けないという、SNS時代に逆らうプライドを育ててしまった事が本当の反省点です…