8月15日、“特別な夏”いかがお過ごしでしょうか?
私は“お盆文化”のない家庭だったので、夏の習慣がありません。
そういえば、「夏休み」という期間のある仕事にも就いたことがありません。
なので、私にとって、日本の夏の象徴と言ったら、この「終戦の日」かも知れません。
毎年毎年、この時期になると、様々な形で過去の戦争に関する映像が流れます。
それらは今の生活から考えると、ありえないくらい不自由で、人のこころなんかは、不自由である事にすら気付いてはいけなかったはずです。
もし今の自分がその時代に生きていたら…と想像したら、まず、今のような自由な生き方はできませんから、ちゃんとその時代の社会のレールから外れる事もないでしょうし、家族も多く、皆で協力しながら生活しているでしょうから、結果的に家族も祖先も大事にする、そんなマトモな人になっていたと思います。
そして、不自由の中から喜びを知り、“知らなくて良い事”を知らずに済む、幸せな人になっていたはずです。
同じ宿命を持って生まれても、その時代や環境で、その宿命として与えられたものの活かされ方が変わり、結果的に全く違う性質に見えるようになってしまいます。
しかし、本来の宿命に全く無いものが環境によって出てくる事はありません。
最近鑑定していてつくづく感じるのは、環境や時代に影響され、情報量が多すぎる事によって、皆と同じ事ができると思い込んでしまっている人が多いという問題です。
簡単そうに解説された誰かの成功、楽しそうに遊んでいるようにしかみえないモノ、偶然が起こした奇跡……
今、スマホを開けばこんなモノ、いくらでも見る事ができてしまいます。
ただ、成功者は苦労を苦労と思わないから成功しているので、簡単そうにその話をするでしょうし、楽しそうに見えるものは、そうでないと見てもらえないだけ。
偶然には、それが起こる為に必然の努力があります。
結局、そういう分析ができないまま、「私もできる」になってしまう人ほど、宿命に適性がない事が多く、自分に無いものを求めすぎる事で、本来持たなくてはいけない「自身の自信」の場所に気付けず、最終的に自分の置き場所がわからないまま時間だけが過ぎてしまう結果になりやすいです。
人には適材適所がしっかり与えられています。
「私も!」ではなく、「私だから」できることを。
そしてそれは皆に知られて意味があるとは限らない、という事も知っていただきたいです。