なぜ“寺”なのか、振り返ってみた

2018年頃まで私も色々なパワースポットと言われる神社を回っていました。
今思うと、2009年の年末(旧暦)に結構シンドイ事があり、2010年の節分にボーっと、十二社熊野神社の豆まきに行って、明治神宮の「清正の井戸」にも行った、あれが全てのはじまりだったかもしれません。

当時の私は、借金の返済と生活の為に銀座でホステスをしていていましたが、もともと性に合わないというのもあり、年齢的にも環境的にも精神的にも限界になった勢い?で顔に怪我をし、働けなくなったのが1月末くらい。もう本当に仕事は無理、でもお金を稼がなくてはいけない、でもどうしようもない、そんな「無」の状態で2010年の節分を迎えていました。

その頃はまだネットで何でも調べられるほどではなく、まだテレビの情報が主流だったと思います。
たぶん、オカルト系の番組でパワースポットの話をしはじめていたのもその頃で、私は藁をも掴む思いで「清正の井戸」に行ったのかも知れません。

今思えば、この年末から起きたトラブルから怪我をするまでは、ちゃんとした運勢の流れがありました。なんならもっと前に決断しないといけなかったのに、現状に甘んじたが故に、爆弾的な事件でその甘えを壊滅させられたのでしょう。結局そうせざるを得なかった訳です。

でもこの行動のせいか、運勢のせいか、その日を境に流れが変わり、平成22年2月22日に面接に行ったブライダル前撮り会社の和装婚礼の立ち上げ業務に就くことになりました。
というか、できる事が着付け(講師の免状は持っていた)しかなかったのでこの選択になったのですが、ここから挙式をさせてくれる神社を探すのも仕事になり、神社さんに出入りするようになりました。

それからは挙式の美装や介添え、和洋装の前撮りなど、それに関する仕事を叩き上げのように行い、神社系パワースポットにも行くようになりました。
しばらくするとブライダル美装業界の価格破壊がはじまったので、美装の仕事を減らし徐々に鑑定の仕事に専念するようになりました。
鑑定の仕事をはじめると、今度はより一層、スピリチャル業界の事を理解しておかないとやりにくいし、スピリチュアルブームも重なって、パワースポットと言われるところは行っておかないと、という意識が強くなりました。

そんなパワースポット巡りのピークになったのが2018年頃、私は車の免許がないので、色々なスピリチャルツアーに参加しました。
そして、2019年からは祝詞くらいは言えるようにしよう、と翌年の参拝への心構えをはじめると、年明け早々2019年に参加予定していたツアーが端から催行中止になり、その代わりに参拝できる場所がお寺さんに変わりました。

いかんせん、墓も仏壇もない核家族に育ったので、寺は初詣や厄払いや祈願で行く、文化的なものくらいの認識しかありませんでした。
なので、仏さんが何なのかを考えた事もありません、仏教=ブッダ=クリクリ頭、修学旅行の定番、いろんな種類の仏像がある程度の感覚しかありませんでした。今思えば、本当につい最近までわかっていませんでした 笑。

ただそこからは流れが早かったです。
ちょくちょくお寺に行く機会を作ると、その度色々な面白さに気付き、今までのお寺への無関心が嘘のように、急に親近感を覚え、あっという間に一人で四国遍路に参加しようとするまでの度胸が備わっていました。
そこからはコロナ前に予約した2度目の四国遍路が「Go To トラベル」の対象になったり、その次の年もクーポンが出る時期にあたったり、四国遍路では何かとお得な思いも、四国は魔物が棲んでいると言われる意味も、「バチが当たる」とはどういうことかも、本当に学びがヤバすぎて、数年間は「異世界」に遊びにいくような期待感を抱いてお遍路(ツアー)に行ってました。

流れがまた変わったのが2025年、この1年は本当に色々な事が起きました。
感覚的には、神社から寺に変わったあの時と同じような変化で、今までのような「異世界」への興味から、それまでずっと疑問に思っていた【お参りする意味】を明確に教えてもらえたような、「あ、本当にある世界なんだ…」と、オカルトな世界から超現実としてとらえるべき価値観に変化が起きました。

神社仏閣参拝には「呼ばれる」という表現を使う事が多いのですが、私の場合、家族や幼い頃の習慣ではなく、自発的に神社仏閣に行きだしたのが2010年。今こうやって振り返ると、ゆっくり自然で分からない位のスピードだけど、ガッチリ呼ばれたのでは?と笑えてしまいます。

ただ、ここでひとつ誤解されたくないのが、これは特定の宗教を学ぶという事ではなく、自分の中に「絶対的な他の存在」があるということに気付き、それをできるだけ間違えないように認識する為に、先人の知恵を拝借するイメージ。
なので、私は得度(出家して受戒する)をしたいとか、同じ思想を持つ人と集いたいという訳ではありません。
超極論を言えば、「自分の中にすごい仏様いたら無敵だよね!」っていう感じ。
その為には、その“すごい仏様”を探せるようにならないといけないし、その仏様に気に入ってもらわないといけないし、自分自身がその器じゃないと話にならないし、もし、その器と仏様が揃ったとしても、そもそも人間なんて欲の塊なんだがら、そこにはきっと守らなければいけないルールや縛りは生まれてくるはず…(ある意味呪術廻戦の宿儺)
何となく、その入り口に立てたかも?っていうのを、2026年実感できたら良いな…と今は思っています。


今、オカルト業界で話題になっている、タイムリープや異次元の話も興味深いですが、寺も負けずにヤバイ場所ですよ!
そういう意味で『寺』なんです。