源九郎稲荷神社、ヤバかった

ちょっとした個人的イベントで、先月2回奈良に行きました。※このことについては答えが出てからまた書きます。
で、2回目は車だったので、目的地の信貴山に向かうまでの道中で行きたいところを探し、飛び込み?で宝山寺と源九郎稲荷神社に立ち寄りました。

実は、その前の週に奈良から京都に弾丸で行った時、空いた時間にどこに行くか?で久々に伏見山を登って、スーパー銭湯で汗を流して帰ろうと思っていたのですが、急慮予定を変更しなくてはならなくなり、やっぱりお稲荷さんは呼ばれてないなぁ~なんて勝手に思ってました。
というのも、(私的に)お稲荷さんは“ちゃんと参らないといけない“から、むやみやたらに行かないと決めていたにも関わらず、“運動がてら行こうかな?”なんてノリだったので、ご縁がないのも「そりゃそうか~」って感じで。
でも結果的に、膝の手術後の回復にはまだ早い時期だったようなので、登らなくて正解でした。

いつも話していますが、私は基本的に「おばけ」は見えませんし、守護霊や妖精も見えません。
ただ、やっている事が完全にスピリチュアル業界なので、膨大な時間とその環境が、第六感的なモノの感覚を知らず知らずに磨いている(科学的にも証明できる)のは間違いないと思っていますし、それが良い意味で磨かれない人は、この業界で続けていけない事も実感しています。

そんな、人を視る時の感覚や目安になる情報っていうのは、鑑定だけでなく、日常の生活にも便利な事も多いのですが、そういう感覚が強くなると、今まで気にしなかった“違う感覚”にも気付けるようになります。

その感覚が特に強く動くのが、神社仏閣のエネルギー。
ただこれは、あくまでも『自分にとって良いか悪いか』で、どんなにすごいパワースポットでも、合う合わない、わかるわからないがハッキリ分かれるので、決して正解という訳ではありません。

過去、人並にパワースポット巡りをしていた時に、そのパワースポットよりも、そこに来ている人の「気」に当たってしまう事が多く、逆に広大な敷地のパワースポットの場合、マイナスイオン的な空気の違い程度にしか感じず、ただ「行ってみた!」で終わってしまうだけで、そこまで良いと感じた事がありませんでした。
それが、山岳信仰のある神社仏閣に足を踏み入れた途端に「ここにいたい」とか、胸躍る高揚感みたいな事を感じるようになり、それから寺への印象が変わって(住職が銀座で飲んでる姿をよく見ていたのもマイナスイメージ笑)、パワースポットや神社巡りから、寺派となり、四国にも行きだした訳です。

で、色々なお寺に行く機会が多くなると、自分に合うお寺が何となくわかるようになってきます。
私は仕事でも対面じゃないと感覚が定まらない気がするので、基本的には対面限定にしているのですが、お寺に関しても、実際どんな仏様が祀られているのか、仏像として見ないと合う合わないが分かりません。
なので『秘仏』だと、そのお寺と合う合わないか分からないまま、ただの観光と化します。

そんな私がノリで行ってみちゃったのが源九郎稲荷神社。
はじめに書いたように、お稲荷さんは“それなり”の心の準備が必要と思っているので、今回はあくまでもご挨拶程度の観光気分でした。

実際に訪問すると、民家の中にある小さな神社で、ほのぼのとした雰囲気でした。
ただ、社殿に近づいた途端、七尾の狐の像から目を離せなくなり、拝殿では強い圧を感じ、日ごろからお稲荷さんでは挨拶するだけにしていましたが、自分の今の願いを話さなければいけない気持ちにさせられるという強烈な印象を覚え、しばらく鼓動も早くなりました。

特にご縁もなく、事前によく調べて訪問した訳でもなく、ノリで訪れただけ、こじんまりした民家に囲まれてた神社で、まさかこんな衝撃を受けるとは…そういう意味では過去イチの神社でした。

あとから今回訪れた、奈良のコースがあまりにも出来過ぎていた事を知り、ちゃんと呼ばれたんだなぁ…と実感。
少し時間をおいて、これを書いているのですが、改めて、日々の忙しさにかまけて、あの時感じた事を後回しにしてはいけないな…と今改めて感じています。

人それぞれ、合う場所や感じる事は違います。
同じ人でも、時期やタイミングでソレは変わります。
ただ、そういう事に『気付かせてもらえる行動』はしていて損はありません。
これは生き物が必ず持っている感覚に備わっています。
是非、自分の中にある【気付きの力】に気付き、それを磨ける行動を心掛けてみて欲しいです。